住友財閥(2)

住友財閥と終戦

終戦時に住友本社が投資していた会社は120社におよび、これらの会社の公称資本金総額は100億円にのぼる規模でした。もっとも住友本社の持株比率が10%を超えるもの(いわゆる直系、準直系、特殊関係会社)に限定すれば、内外地合わせ29社でした。しかし住友財閥の最大の特色は、第一に重化学工業中心であったこと、第二に商業部門をもたないことにありました。資本投下が金属工業・機械工業・化学工業・鉱業などに集中していて、繊維工業や商業部門への投資は皆無でした。住友本社の重化学工業部門の払込資本金比率は87%におよび、圧倒的重化学工業財閥の実勢力をしめしていました。そして重工業財閥として、直系の生産会社はすべて軍需会社の指定を受けていたのです。住友にとって敗戦は幕末維新期以来の危機でした。軍需工場として膨張しきっていたうえに、主力工場は空襲で壊滅的打撃を受け、しかも荒廃と混乱のなかで、民需転換は容易に望めなかったからです。

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「事業転換方策懇談会」

  • 住友金属の場合は、全国18工場のうち大阪の車輌工場と尼崎のパイプ工場だけを残して、16工場を閉鎖、10万人の従業員を5千人に減らすという徹底した合理化をともなうものでした。これは春日弘(当時社長)陣頭指揮の下による日向方斉(当時企画課長)の住金再建案として知られていて、実際にそのとおりに断行されました。
  • 9月10日と9月11日の2日にわたって、各社幹部50名をまじえて「事業転換方策懇談会」を開きました。本社側から戦後の一般情勢と本社解体の方針について説明、各社から復興のための方策と事業転換について報告がなされ、本社企画課が準備した新規事業計画案には、商事・製塩・水産・セメント・出版などの事業があがりましたが、商事会社設立のほかに種々の難点がありました。このようにして住友では、商事会社の設立、化学工業の肥料生産への転化、金属工業の車輌工業への転化などの準備が進められました。
  • 10月初旬以来、住友と総司令部および中央諸官庁との折衝が頻繁となり、10月5日、常務理事北沢敬二郎と監事大島堅造がGHQに出頭して経済科学局長レイモンド・C・クレーマーに会い、住友本社が単なる持株会社でなく現業部門をもつこと、住友家当主は日常の仕事に関与せず総理事が実権を掌握していること、住友家は政治に関係していなかったことなどを説明、当時戦犯のうわさのあった当主の立場を釈明しました。
  • 10月18日、クレーマーは自ら大阪にきて、住友本社で総理事古田俊之助と会談しました。この席上クレーマーの質問は、当主住友吉左衛門の事業責任にも及びましたが、古田は敢然と無関係無責任であると答えました。そして翌10月19日、住友本社理事会は自発的解体、すなわち本社の解体と傘下企業に対する統轄の廃止を決定し、家長の決裁を得ました。

財閥解体の順応的背景

住友が三井や三菱とくらべて解体に順応的にあった理由としては、監事の大島堅造が大内兵衛、田村幸策の両者とともにGHQの非公式顧問であって、情報が得やすかったことのほかに、安田財閥の自発的解体が後押しとなりました。こうして住友では、早くも10月24日に本社・連系会社の全主管者を招集して次のように内示しました。

  • 住友本社を解散する。
  • 住友本社の現業部門については農林業・鉱業部門は住友鉱業へ移管する。
  • 代表取締役住友吉左衛門、同古田俊之助以下住友本社の取締役・監査役は全員辞任する。
  • 上にともない住友系各社はそれぞれ自主独立の会社として事業の経営にあたる。
  • 住友系各社の社名中「住友」の名称はこれを避けることとし、逐次社名を変更する。

このようにして11月4日に日本政府から「持株会社の解体に関する覚書」が提示され、これを承認する形で総司令部からこの件に関する覚書が発せられました。これによって持株会社整理委員会を通じて財閥解体を実施するという具体的な方向が決定しました。しかし、同委員会の発足が遅れたので、住友では法律上の解散に先立って事実上の解散を行うことを決め、1946年(昭和21年)1月21日の臨時株主総会で役員の更迭をおこない、解体処理にあたる役員だけを残して、古田総理事以下主要役員は一斉に辞任しました。ここに住友本社の傘下企業に対する統轄は完全に消滅し(法律上は2年後)住友の歴史は一応ここで断絶することになりました。

財閥解体後~現在

現在は、グループの中核・住友銀行が三井グループの中核銀行(さくら銀行)と合併して三井住友銀行が誕生したことに伴い、金融面では三井住友フィナンシャルグループが誕生し、他業種でも住友系と三井系の企業の合併や業務提携が相次ぎました。財閥解体後の1949年(昭和24年)、住友各社の協力関係を維持するため、住友直系12社の社長によって構成される白水会が設立されました。結成当初、白水会は秘密会でしたが、昭和20年代後半にはその存在を明らかにしました。「結束の住友」と言われるように住友グループは戦後の混乱期に、三井、三菱の他財閥にさきがけいち早く社長会による集団指導体制を確立し、連帯意識の統一に成功しました。もっとも、旧住友財閥系の企業からなる住友グループ全体の売上高は約60兆円に達し、これは日本のGDPの約10%を占める規模です。また、住友不動産は、住友家の不動産資産を譲り受けてスタートしたことから、住友の本流を受け継いでいて、旧住友本社の資産を住友商事が引き継いでいます。

かつて、旧財閥系列の系譜をくんでいた主要企業

  • ヤマハ(旧:日本楽器製造→日本楽器(ヤマハ)) ヤマハ発動機(同上のオートバイ部門が分離、のちにマリン・レジャー・EV等に進出)
  • 関西電力 山陽電気鉄道(阪神電気鉄道翼下)
  • ダイビル(旧:大阪建物、商船三井(旧大阪商船→大阪商船三井船舶)系列)
  • ダイヘン(旧:大阪変圧器、現関西電力の支援を受け関西財界により設立)
  • NEOMAX(旧:住友特殊金属)→ 現親会社の日立金属への吸収合併により解散。現在の日立金属株式会社 NEOMAXカンパニーです。
  • 小倉興産(アドバンテッジ・パートナーズ傘下を経てアパマンショップグループへ)
  • 昭和精機工業(旧ヤンマーディーゼル系→アーク系)
  • 川崎重工業(戦時中に旧山下汽船と合わせて発行済み株式の25%前後を取得していました。これが後の川崎(グループ)の住友アレルギーと言われる原因となったといわれています。
  • 大阪商船(のち大阪商船三井船舶→商船三井、関西財界により設立)
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